自画像展
ダブルベッドがやっと入るくらいの広さの部屋に、セミダブルのベットを収めて寝室にした。
その部屋には向かい合っている二つの小さい窓があり、窓には太陽が昇ってきていることをうっすら感じれるぐらいの厚さの布をカーテン代わりに覆っている。
ここ1ヶ月は、目が覚める身体と、起きたい気持ちの波長が足並み揃うまでベッドの上でダラダラ過ごす。掛け布団をこねくり回して、ちらっとカーテンの隙間から太陽を覗いて、起きる決心がつく。それから、パンが焼けるのも、お湯がわくのも、のそのそと一呼吸、一呼吸おきながら動作する。
それぐらいのペースだと、朝には朝にしか感じることのできない、きゅっと身が引き締まるような空気が漂っていることがわかってくるもので、
徐々に明るくなってくるのを目を瞑りながらも感じ、今日は曇りだなとか、晴れだなとか、気温とか湿度とかも肌で感じる。その影響の延長線上でコーヒーじゃなくて白湯の気分とか玄米茶だとか、自分のコンディションも全部ベッドから降りるまでにだいたい決まってる。
ふと、今まで過ごしてきた朝はなんだったんだろうと不思議に思った。
実家に住んでいるときは起きるのが苦手で、朝の時間はほとんどないようなものだった。前の晩のうちから、10分の支度で家を出れるようにシュミレーションして実際、遅刻ギリギリまで寝ていた。ごはんやパンを食べて口の中がもったりしたり、パサパサになるのも嫌で、朝ごはんをちゃんと食べなさいと言う母親とよく衝突していた。
東京に出てからもそうだった。
朝なんてものは、深夜ラジオを聴きながら寝落ちするためにわざとつけっぱなしにしていたラジオアプリを消し、ベッドの上で聞き逃した後半の部分をyoutubeで検索して、聞きなおしながら支度をする為のものだった。深夜から朝までのラジオ漬け生活に対して、世界一幸せな過ごし方をしているのだと確信していた。
その反面、雑誌とかでよく見かける”ていねいな暮らし”っていうのを目にするたびに、コーヒーは豆から挽いてる優雅な時間の過ごし方とか、なんだか自分とは遠い世界のものだと思いつつ、歯がゆい気持ちにもなっていた。
今ではすっかり深夜ラジオをリアルタイムで聴かないし、髪を後ろで括って頬紅だけ塗って自転車で駅まで全速力なんてしない。コンビニで買った納豆巻きを頬張りながら仕事の段取りもしない。
1年前、ほんと偶然に今の住んでいる場所に出会い、とっても気に入った。そこはただ自然が生活が近くて、生活費も安い、そんなに忙しく稼がないといけない訳ではない。1年前にあんなにしっくりこなかった”ていねいな暮らし”をしているのは少しおかしいけれど、周りの環境に自分の本来の感覚が自然に呼応してそのあと、思考が付いて行動してくるようなそんな感じなんだ。
好きで心地の良いもの、形や大きさを変えながら、私の生活にちゃんと入っていて、バランスを崩したり、とったりしながら私はでこぼこと生きている。
今の私は、日中にケラケラとラジオを聴きながら制作しているし、お出かけする時はすきな服と軽くお化粧をするし、天気が良い日は自転車でぴゅーっと海まで行く。
CANDID ARTS
"PORTFOLIO EXHIBITION"
イギリスにある、ギャラリーで、自画像グループ展に出展します。
彼が去年参加したギャラリーで、今年は私が参加します。
実際に足を運ぶことができないのは切ないけれどね。
イギリスにいる人は良かったら覗いてみてね。
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